女子バレーボールのセッターベスト3

バレーボール

松田紀子

松田紀子

松田紀子は1976年モントリオールオリンピックの金メダリストである。1968年メキシコオリンピック、1972年ミュンヘンオリンピックではソ連に屈して銀メダルであった。打倒ソ連の秘策として山田茂雄監督は女子バレーに速攻・コンビネーションバレーを導入し、松田紀子は要のセッターとして5人のアタッカーを縦横無尽に駆使してソ連を破った。

松田紀子のトスはクイックとサイド攻撃を織り交ぜてトスを散らし、相手ブロックに的を絞らせない配球であった。また肩が柔らかく、174センチの身長ながらブロックの高さは180センチ台の選手並みであった。相手選手が身長の低い松田のブロックの上を抜こうとしてスパイクを打ち、松田のブロックにかかることが頻繁にあった。

モントリオールオリンピック決勝戦はソ連との激戦が予想されたが、結果は日本のストレート勝ちで試合時間わずか56分であった。松田紀子はクイックを効果的に使い、サイド攻撃にトスをあげるようなモーションからクイックを織り交ぜ、トスを散らしてソ連のブロックを翻弄した。

モントリオールオリンピック後、公の場には一切姿を見せず現況は不明である。

中田久美

中田久美

中田久美は1984年ロサンゼルスオリンピック銅メダリストである。15歳で日本リーグ(現Vリーグ)の日立に入団し、通信制高校で勉強しながら実業団で活躍した。1988年ソウルオリンピック、1992年バルセロナオリンピックにも出場した。

攻撃的セッターと言われ、2アタックを多用し自身もスパイクを多く放った。江上由美、三屋裕子などスター選手に囲まれて、自在なトス回しで相手ブロックを翻弄した。中田は右ききであるが、左手も使えるようにと食事や日常生活を左手でこなし、試合中の2アタックなどを左ききのように左手でプレーした。1983年アジア選手権で、当時世界一といわれた中国を破って優勝し、中田久美はベストセッター賞を受賞した。この勢いで翌年のロサンゼルスオリンピックは金メダルを期待されたが、準決勝で中国に敗れ銅メダルに終わった。

2012年からVリーグ久光製薬監督に就任し、いきなり皇后杯、Vリーグ、黒鷲旗の3冠を果たしている。2016年から全日本監督に就任し、セッター宮下遥やエース古賀紗理那などを育て、2021年東京オリンピックに臨んだ。結果は予選敗退であり、中田はショックで半年も外出できなくなったそうだ。

現在、Vリーグ3部のフラーゴッド鹿児島のエグゼキュティブディレクターを務める傍ら、筑波大学大学院体育研究科に社会人枠で入学して勉強している。

竹下佳江

竹下佳江

竹下佳江は2012年ロンドンオリンピック銅メダリストである。159センチの身長ながら早くて正確なトスでチームを勝利に導いた。竹下のトスは打ちやすい、と多数のアタッカーが口を揃えている。相手ブロックを振るトスより、味方のアタッカーが打ちやすいトスを上げるセッターであった。「世界最小最強セッター」と言われている。

2000年シドニーオリンピック最終予選ではオリンピック出場権を逃した。このとき世論は159センチの竹下の身長の低さが原因だ、と竹下を戦犯呼ばわりした。竹下はバレーボールをやめる決断をし、北九州に帰って職探しをしたそうだ。その後、バレーボールに復帰してVリーグJTに入団した。2004年アテネオリンピック、2008年北京オリンピックとも準々決勝敗退したが、2012年ロンドンオリンピックで悲願の銅メダルを獲得した。

現在、Vリーグヴィクトリーナ姫路取締役球団福社長の要職に就いている。

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