政夫と民子
政夫は東京荒川沿いの矢切村にある旧家の御曹司である。小学校を卒業したばかりの15歳であり、来月から中学校に入学して寄宿舎生活となる予定であった。
政夫の母は病弱で、家事や裁縫などで親戚筋の民子という17歳の女の子が手伝いに来ていた。民子は折に触れ政夫の書室に来て、政夫の肩に触れたり本を眺めたりしていた。政夫も民子が書室に来るのを心待ちにしていた。
茄子畑
政夫は母からの言いつけで茄子畑に茄子をもぎに来ていた。そこへ民子も母から言いつかって畑に来た。茄子をもぐ民子を見て、民子の可憐さ・美しさに見とれてしまった。このとき政夫は民子に対して恋の卵のようなものを心に宿した。
棉の収穫
明日から村のお祭りが始まることから、野の仕事は今日中に片づけることとなった。兄夫婦と下女のお増そして下男は中稲の刈り取り、政夫と民子は棉の収穫を言いつかった。棉畑は遠方にあり、政夫と民子は弁当を持って畑に向かった。
途中の道で野菊が咲いており、政夫は野菊を摘んで民子に渡した。野菊を抱いて愛でる民子を見て、民子は野菊のような可憐な女性だと思い「民さんは野菊のような人だ」と民子に言った。民子は「それなら政さんは竜胆のような人だ」と言った。
棉の収穫に勤しみ、昼になって弁当を食べることとなった。政夫は水を汲むため、少し離れた川まで行った。2人で弁当を食べ、少し休憩してからまた棉の収穫に勤しんだ。政夫は民子と過ごす時間がとても楽しく、民子も楽しそうに話し込んでいた。
棉の収穫が終わり2人は家路についたが、遠方なことから夕食時間から少し遅れてしまった。母や兄夫婦の雰囲気が険悪で、2人が遅れたのは不謹慎なことをしていたからではないか、と疑っている様子があった。母は「政夫は来月からと言わず、明日から中学校に行け」と怒りながら政夫に命じた。
手紙
その後数日間は政夫と民子は家の中で会わないようにして過ごした。廊下などで会っても会話せず、知らぬふりをしていた。
政夫は「毎日民さんのことばかり考えている。民さんが年上なことは何とも思っていない。僕は民さんの思うとおりになります。冬季休暇に会えるのを楽しみにしています」と民子に手紙を書いて渡した。数日後政夫は中学校に行った。
正月
冬季休暇で帰省した政夫は民子を探したが家にはいなかった。民子のことを母に聞くのも憚られて聞かずに過ごした。
お増が政夫に話があると言って、民子のことを知らせてくれた。お増によると政夫が帰省する前日、母が民子を実家に帰らせたとのことであった。
民子のいない家で過ごすことも面白くないので、政夫はすぐに中学校へ帰った。
民子の死
6月になり母から「スグカエレ」との電報を貰い実家に帰省した。母の話は民子が死んだ、とのことだった。
民子は実家の近所の男性との見合い話があり、民子は乗り気でない風であった。しかし、政夫の母は民子に対して「おまえを政夫の嫁にする気はない」と言ったのだ。年上の女房を貰うことは世間体が悪いことと政夫の母は考えていた。この言葉で民子は見合いを承知し嫁いだ。
民子は妊娠したが6か月で流産し、その後の体調が回復せずに死んでしまった。民子の手には政夫の写真と政夫の手紙が握りしめられ、その手を胸に置いていたとのこと。
母の謝罪
政夫の母は
民子が政夫の写真と手紙を後生大事に持っていたことで、民子がどんなに政夫を好いていたか分かった。世間体を考えて、民子に「政夫の嫁にする気はない」と言ったことで大人しい民子は観念して嫁に行ってしまった。私が民子を殺したようなものだ。
と政夫に謝罪した。翌日、政夫は民子の墓参りをし、墓に野菊を供えて民子の思い出に浸った。
政夫は母を慰めながら数日を過ごし中学校に帰った。
野菊の墓の舞台は明治時代の旧家である。男尊女卑が根強く残る社会では「姉さん女房」や「自由恋愛」など番外である。政夫の母から年上妻を否定され、民子は泣く泣く嫁に行き命を落としてしまう。少年の日の淡い恋心は男尊女卑という社会風潮によって終結してしまった。
民子の可憐さを見て政夫は、「民さんは野菊のような人だ」と思う。このとき政夫の心に恋の卵が宿すこととなった。民子と政夫は淡い恋心を抱きながら、日々の生活を送り互いの信頼を強めて行く。政夫は民子のことが好きであるが、母や兄嫁は民子と政夫が親しくするのを見て邪推してしまう。周囲の思惑により2人の関係はぎこちないものとなってしまうが、政夫の心は民子に対する恋心で満ちている。周囲が懸念するような邪念は少しもない。
民子の死によって政夫の恋は終わってしまった。民子の墓参りや母との生活をして、また元の中学校生活に戻り、いつものように人生を歩んで行くのである。
野菊の墓の締めくくりの文章をここに掲げる。
「民子は余儀なき結婚をして遂を去り、僕は余儀なき結婚をして長らえている。民子は僕の写真と僕の手紙とを胸を離さずに持っていよう。幽明遥けく隔つとも僕の心は一日も民子の上を去らぬ。」