別府3億円保険金殺人事件
事件発生
1974年11月17日午後10時ころ、大分県別府市の別府フェリー岸壁から日産サニーが海に転落した。海の中からAが浮かび上がり、釣り人達に救助された。Aは「車の中に妻と子供2人がいる」と申し立てた。
翌日ダイバー達により車が海中から引き上げられ、車の中には妻B子(41歳)、長女(12歳)、次女(10歳)の死体があった。
保険金
Aは恐喝、詐欺、放火などの前科があり、最後の暴行・傷害・恐喝事件では実刑となり、宮崎刑務所で服役した。1972年に宮崎刑務所を出所後、別府市内でアパートを借りて生活するようになり、頻繁に結婚相談所を訪れ子連れの未亡人を探していた。結婚相談所で紹介された未亡人の中で、B子さんが運転免許を所持していたことを知ったAはB子さんに急接近した。
AはB子さんと結婚し子供達を養子にしたが、結婚式は行わず、同居もせずに別々に暮らしていた。AはB子さん達に7社合計3億1千万円もの生命保険を掛けた。月々の掛け金は約13万円になっており、最後の保険契約から12日後の事故であった。
警察の捜査
事故発生当初からAは「妻が運転しており私は助手席にいた」と申し立てていた。警察はこの事故に対して疑惑を持っており、

- 車の鑑定で妻の膝に付いた傷と助手席ダッシュボードの傷跡が一致
- 車に付いている水抜き孔のゴム栓が全て取り外されていた
- 車のダッシュボードにハンマーが入っていた
- 事件当夜、事件現場前の信号機で停まっていた日産サニーの運転席にAが座っていたとする鮮魚商の男性の証言
- チャパキディック事件をヒントに「家族に保険金をかけて車ごと海に飛び込み、自分だけ助かる手法で保険金を手に入れること」を荒木から打ち明けられていたとする刑務所仲間の証言
などを根拠にしてAを逮捕・起訴した。
裁判
1980年、大分地方裁判所はAに対して死刑判決を下した。Aは控訴したが、1984年福岡高等裁判所は一審判決を支持する判決を下した。Aは上告したものの、上告中の1989年八王子医療刑務所で病死し公訴棄却となった。
松本清張著「疑惑」
松本清張は別府3億円保険金殺人事件をモチーフにして、「疑惑」という小説を書いている。そのストーリーは次のとおりである。
事件発生
昭和XX年7月21日午後9時10分ころ、北陸地方T市の新港湾埠頭A号岸壁から普通乗用車1台が海にダイビングした。海の中から女性1人が浮かび上がり、公衆電話から警察に電話した。
翌日乗用車が海中から引き上げられ、男性1人の死体が車内にあった。死亡した男性はT市では有名な資産家で不動産業白河福太郎(59歳)であり、通報した女性は白河福太郎の妻球磨子(34歳)であった。球磨子は「運転は福太郎で私は助手席にいた」と供述した。
実況見分
引き上げられた車はフロントガラスが割れており、車内には白河福太郎の死体と運転席足元に長さ15センチのスパナがあった。左足の靴は履かれていたが、右足の靴は脱げており靴の横に擦り傷があった。
警察の捜査
警察の聞き込みで、事件当夜現場の電話ボックスにいた藤原芳郎から「当日現場の岸壁に向かう乗用車を見た、運転席には女性がいた」との聞き込みを得た。
また、東京で球磨子がホステスをしていた頃の仲間で暴力団員の河崎三郎と野島秀夫から、球磨子が「北陸のT市で思い切った仕事をして大金持ちになって帰って来る」と言っていた、との聞き込みを得た。
更に、被害者の友人木下保からは「球磨子と結婚したのは失敗だった、球磨子は強欲でヒステリーで、暴力団と繋がっている、離婚したいが慰謝料は億単位の金でないと納得しないだろう、球磨子に離婚の話をしたら殺されるかもしれない」と被害者が話していた、との聞き込みを得た。
以上の聞き込みに加えて白河福太郎には3億円の生命保険が掛けられ、受取人は球磨子となっていた。車内にあったスパナは車が海中に落ちた際、フロントガラスを割って脱出するため球磨子が用意したものと見て球磨子を殺人容疑で逮捕した。
記者秋谷茂一
北陸日日新聞社の記者秋谷茂一は事件発生当初から、球磨子による保険金殺人事件との連載記事を書いてキャンペーンを張っていた。
球磨子は恐喝、詐欺、傷害など前科4犯を有していた。傷害事件は、当時勤めていたクラブで同僚ホステスが球磨子の悪口を言いふらしたことで、懇意にしていた暴力団員河崎三郎と野島秀夫を引き連れて同僚ホステスに殴る蹴るの暴行を加えて半殺しにしたものである。この傷害事件で実刑になっている。
球磨子が東京でホステスをしていたとき、客として訪れた被害者と知り合い、親しくなって肉体関係となった。10年前に妻を亡くした被害者に取り入り、財産目当てで資産家の後妻となった。被害者の長男夫婦は自動車事故で亡くなっており、球磨子が白河家に来てから被害者の孫3人は球磨子を嫌って母親の実家で暮らすようになった。
被害者は資産家であり、その総資産は3億円と言われていた。被害者が死亡すれば、資産の3分の1の1億円が球磨子に入ることとなる。更に、被害者には3億円の生命保険が掛けられ、受取人は球磨子であった。
以上の取材事実を連載記事として掲載し、読者の共感を得て大きな反響を呼んでいた。

弁護士佐原卓吉
球磨子は逮捕される前、原山弁護士事務所を訪れて弁護を依頼していた。球磨子が逮捕され公判を重ねて行くうち、原山弁護士は肝臓の具合が悪化し球磨子の弁護から降りてしまった。裁判所は国選弁護人として佐原卓吉を選任した。佐原卓吉は民事専門の弁護士であり、刑事事件の経験は殆どなかった。しかも、国選弁護人は報酬も僅かで、熱意を持って取り組む弁護士はいなかった。
秋谷は佐原弁護士を訪れて事件の話をしたが、弁護士はスパナや脱げた靴の話をして本筋から離れた頓珍漢な話をしており、弁護士の力量は感じられなかった。球磨子による保険金殺人事件である、との秋谷の見立てが覆されることはないだろう、と安心した。
反対尋問
佐原弁護士は証人藤原芳郎にたいして、「雨の夜に一瞬で通り過ぎる車の運転席に女性がいたと断言できるのか、新聞などで球磨子による保険金殺人事件と報じられたことから予断を持ったのでないか」と尋問し、証人も予断を持ったと証言して前回の証言から後退した。
また、暴力団員の河崎三郎と野島秀夫に対する尋問でも、「『北陸のT市で思い切った仕事をして大金持ちになって帰って来る』と球磨子が言ったとのことだが、具体的に被害者に保険を掛けて殺害する、という話であったか」と尋問したところ、両人とも「そんな具体的な話ではなかった」と証言を後退させた。
更に、被害者の友人木下保の尋問では、「『球磨子に離婚の話を切り出したら殺されるかもしれない』と被害者が話していたとのことだが、球磨子が被害者に対する殺害計画を持っていて被害者が感知していた、との話はあったか」と尋問したところ、「そんな具体的な話はなかった」と証言した。
秋谷は証人尋問を傍聴して佐原弁護士の手腕に驚くと同時に、自身の書いたキャンペーン記事が覆された場合を考えた。球磨子犯人説でキャンペーンを張ったのに無罪となったら僻地の支局に左遷されるのは明らかだった。
佐原弁護士の見立て
佐原弁護士は秋谷記者を事務所に呼んで事件に対する見立てを話した。
車のブレーキペダル裏と床面の間隔は7センチある。靴を横にした高さは6センチ7ミリでスパナの厚さが4ミリあり、ブレーキペダルの下にスパナを置き靴を横にして差し込めばブレーキペダルは動かなくなる。右足の靴の擦り傷はこのとき付いたと思われる。
被害者は妻を亡くし、長男夫婦も亡くしている。球磨子と結婚したものの、結婚してから孫たちが家を離れ、強欲な球磨子と結婚したことを後悔していた。被害者は球磨子を道連れに自殺するためにドライブしたものと思う。岸壁からダイビングする際、恐怖でブレーキを踏むことを想定して靴とスパナでブレーキが効かないようにしたと思われる。
との見立てを秋谷に聞かせた。秋谷は、球磨子が無罪になれば左遷され、更に球磨子が暴力団を引き連れて保険金殺人疑惑のキャンペーンを張った秋谷に報復に来るのではないか、と考えた。自分だけでなく妻と子供まで被害が及ぶことは何としても避けたかった。佐原弁護士が消えてくれれば良い、と思った。
昇る足音
それから3日目の夜、佐原弁護士は事務所で弁論要旨を書いていた。このとき事務所のあるマンションの階段を下から昇って来る足音が聞こえた。佐原弁護士は弁論要旨に集中していたが、足音は3階まで昇って来た。

この足音は鉄パイプを持った秋谷記者であったが、佐原弁護士はそれを知る由もなかった。
松本清張著「疑惑」は別府3億円保険金殺人事件をモチーフにしているが、間接証拠・状況証拠のみでの有罪認定の危うさを書いている。別府3億円保険金殺人事件のAは死刑判決を受けている。状況はすべてAの犯行を指し示していた。マスコミも事件発生当初からAの犯行を信じて疑わず、大々的にキャンペーンを張ってAを吊るし上げた。
小説「疑惑」では犯行に供したと思われたスパナが球磨子の無実を証明する物的証拠であった。松本サリン事件でも、状況がすべて河野義行さんの犯行を示していたが、事実は河野義行さんは無実であった。小説「疑惑」は状況証拠だけで人を裁く危険を訴えている。