2月26日、私の母が老衰のため亡くなりました。享年95歳で、天寿を全うしました。
農業
母は農業を営んでおり、主な作物は米でした。水田3反歩で稲作をし、畑で野菜を作って食卓に上げていました。私と妹は小学生の頃から田植えと稲刈りの繁忙期には手伝いに駆り出されていました。父は汽車の運転手をしていて深夜や早朝の出勤があり、母は一緒に起きて父の出勤の世話をしました。私が中学生になった時、母は家族の朝食を作って、更に私の弁当を作って朝は忙しくしていました。どこにでもある家族4人の普通の家庭でした。

父の死
父は57歳で亡くなり、その時母は53歳でした。私は転勤族となっており、妹は嫁に出ていて母は独り暮らしとなりました。父の遺族年金のお陰で生活に困ることはありませんでしたが、一人暮らしで心細かったと思います。
趣味
母の趣味は旅行でした。町内の婦人会で主催する旅行が年に数回あり、必ず参加していました。弘前の花見や永平寺詣でなど国内のかなりの観光地を旅して歩きました。
またカラオケが大好きで友人たちとカラオケボックスに出掛け、日がな一日歌いまくって過ごす日もありました。藤あや子が好きで、紫情話、女一人旅などの歌を好んで熱唱していました。NHKのど自慢に出演した際藤あや子の曲を歌い、ゲストの藤あや子から褒められて感激していました。
一人暮らしであったけれども自由気ままに、趣味を満喫していた生活であったと思います。
孫
私と妹に2人ずつ子どもが生まれ、母は4人の孫に恵まれました。母はとても孫を可愛がり、誕生日や正月など孫に沢山のプレゼントやお祝いを呉れました。過度なゲームやインスタント食品など私達親が子供に禁止していたことがありましたが、母はこっそり孫にこれらの禁止事項を許していたようです。
孫の学芸会や運動会などは必ず見に来てくれました。その度に妻は沢山料理を作って母を歓迎しました。妻が母と仲良くやって呉れて妻には感謝しています。

老人ホーム
90歳を過ぎて足腰が弱り、老人ホームに入所しました。膝が駄目になり車椅子の生活となり、更に認知症も進んで私達夫婦や私の妹のことを分からなくなっていました。今年になって肺・心臓が弱り、医者からは何時逝ってもおかしくない、と言われていました。
2月26日は朝から機嫌よくしていたのですが、昼頃から呼吸が弱くなり病院に搬送されました。病院で眠るように息を引き取りました。
葬式
納棺、出棺、火葬、葬式という旅立ちの儀式で喪主を勤めました。映画「おくりびと」で注目を浴びた納棺師ですが、母の全身をシャワーで洗い、髪をシャンプーし、顔を剃って化粧して呉れました。この世の最期の姿をこれ以上ない位綺麗にしてくれた納棺師の方に感謝の気持でいっぱいです。しかも全ての作業を素手で行っており、遺族の感情に沿ったプロフェッショナルの仕事ぶりに感動しました。

火葬が終了し、遺骨を祭壇に飾って身内だけのささやかな葬式を営み、その後、母の兄弟、父の兄弟、私達夫婦と私の妹、そして孫達で会食し母の思い出話をしました。葬式をして感じたことは、母の兄弟や父の兄弟が4割ほど鬼籍に入っており、残った人も高齢になり体の複数個所に障害を抱えている人が多くなったことです。私達世代も定年退職後の人が多くなり、孫の世代となっている現状を見て世代交代を強く感じました。
私も近いうち鬼籍に入ることになるのだろう、と感じました。仕事をしていた若い頃は退職とか死など考えたこともなかったのですが、今は1日1日死に近づいているんだな、と感じている今日このごろです。