オリンピック史上最悪のスキャンダル

フィギュアスケート

アルベールビルオリンピック

伊藤みどり
伊藤みどり

1992年アルベールビルオリンピックのフィギュアスケート女子シングルは、1位クリスティー山口(アメリカ)、2位伊藤みどり(日本)、3位ナンシー・ケリガン(アメリカ)、4位トーニァ・ハーディング(アメリカ)という順位だった。伊藤みどりはオリンピックの舞台で女子で初めてトリプルアクセルを跳び、日本人で初めてフィギュアスケートでオリンピックのメダルを獲得した。

アルベールビルオリンピック後、クリスティー山口と伊藤みどりは引退し、2年後のリレハメルオリンピックは、本命ケリガン、対抗馬ハーディングという図式であった。

ケリガン襲撃事件

ナンシー・ケリガン
ナンシー・ケリガン

1994年1月、全米フィギュアスケート選手権大会が開催された。この大会はリレハメルオリンピック代表選考会も兼ねていた。ケリガン、ハーディングなどオリンピック代表候補が集結していた。

事件はこのとき起こった。ケリガンがリンクでの練習を終え控室への通路を歩いていたところ、鉄パイプを持った男に襲撃され右膝を殴打されたのだ。フィギュアスケート選手にとって命の次に大事な膝を攻撃するという卑劣極まりない犯行であった。ケリガンは病院に運ばれて手当てを受け、全米選手権は欠場せざるを得なくなった。

全米選手権はハーディングが優勝し、オリンピック出場権を獲得した。

警察の捜査

この事件は目撃者が多数おり、似顔絵などから犯人は逮捕された。この犯人はハーディングの離婚した元夫らだったのだ。世間は、ハーディングが元夫に頼んでケリガンを襲撃させたに違いない、とハーディングを非難し、新聞やテレビもハーディングの関与を疑わせる内容の報道を繰り返した。人々は、いつハーディングが逮捕されるか固唾を呑んで事件捜査を見守った。

元夫は、「ハーディングはケリガン襲撃を前もって知っていた」と申し立てたが、ハーディングは知らぬ存ぜぬを貫き、疑わしきは罰せずで逮捕もされずオリンピックにも出場した。

リレハメルオリンピック

ケリガンは全米選手権を欠場したが、襲撃事件という特段の事情があったことから特例によりオリンピック出場が認められた。膝の怪我も致命的な傷害はなく、驚異的な回復でオリンピックに間に合った。

1994年2月、リレハメルオリンピックが開催された。フィギュアスケート会場はケリガン襲撃事件の影響で前代未聞の警備体制が敷かれて競技が始まった。テレビはケリガンとハーディングを執拗に追ってブラウン管に映し出した。2人が同じリンクで練習する様子をカメラが追って、アナウンサーが逐一2人の状況を報告するなど話題の中心であった。

フィギュアスケート女子の競技が始まり、ケリガン、ハーディングなどの演技が行われた。ハーディングは演技中に泣きべそをかいてジャッジ席に詰め寄り、ほどけたスケート靴の紐を見せて演技の繰り下げを要求した。ジャッジはハーディングの主張を認め、ハーディングは順番を繰り下げて再度演技をした。

トーニァ・ハーディング
泣きべそをかくトーニァ・ハーディング

競技はウクライナの16歳の選手とケリガンが激しく競い、僅かの差でウクライナの選手が金メダルに輝いた。ケリガンは銀メダルで、ハーディングは8位であった。

オリンピック後

オリンピック終了後、ハーディングは検察の司法取引に応じて襲撃事件への関与を認め、3年間の執行猶予と16万ドルの罰金、500時間の奉仕活動を課せられた。ISU(国際スケート連盟)は検察の捜査結果を受けてハーディングを永久追放処分とした。

フィギュアスケート競技会に出場が叶わなくなったハーディングはボクシングに転向した。ハーディングが登場する試合の日は、ハーディングのボクシングを見ようと満員の観衆で埋まったそうである。

現在はワシントン州で夫と子ども1人の暮らしで、大工仕事などをして暮らしている。

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