アポロ11号は本当に月に行ったのか

宇宙開発

1960年代

1960年代はアメリカを頂点とする資本主義国とソ連を頂点とする社会主義国が、政治、経済、文化、スポーツ、軍備、宇宙開発などすべての分野で競争していた。東西冷戦と言われ、アメリカ・ソ連どちらかが核ミサイル発射ボタンを押す一歩手前であり一触即発の状態であった。

宇宙開発ではソ連が一歩先んじた。1961年4月、ガガーリン少佐の乗った宇宙飛行船「ボストーク1号」が地球の大気圏を脱出して宇宙空間に出て、地球の周回軌道を1周して無事地球に帰還した。人類初の宇宙飛行である。

ガガーリン少佐

ケネディー大統領議会演説

地球帰還後の記者会見でガガーリン少佐は「地球は青かった」と言った。この言葉は有名なセリフである。ガガーリン少佐は更に「宇宙から地球を見たけれども神は何処にもいなかった」と言った。これはキリスト教国アメリカに対する激しい皮肉であり、アメリカ国民はこの言葉に激怒した。直後の議会演説でケネディー大統領は「我々アメリカは60年代の終わりまでに月に人間を送り、無事に地球に帰って来させる」と宣言した。

このケネディー大統領の宣言はソ連に先を越されたアメリカの威信を取り戻し、宇宙開発においてアメリカの主導権を確立するためであった。大統領宣言を受け、NASAはあと8年で月まで行って帰って来れるロケットを開発しなければならなくなった。

NASAはアポロ計画を推進し、ロケット開発に取り組んだ。このロケット開発中、ロケットの燃焼実験の失敗で3名の宇宙飛行士が殉職している。アポロ1号からアポロ10号までの打ち上げで、ロケットを使った動物実験や有人飛行実験を繰り返した。

アポロ11号

1969年7月16日、アームストロング船長以下3名の宇宙飛行士が乗り込んだアポロ11号がケネディー宇宙基地から打ち上げられた。この打ち上げは全世界に同時中継され、世界中の人々が見守った。基地から打ちあがるロケットの画像や船内の乗組員の様子がテレビに映し出され、乗組員と基地との無線のやり取りなどの音声がテレビで放送された。

アポロ11号の乗組員3名

月面着陸

4日間の飛行の後、アポロ11号は月に到達した。7月20日、アームストロング船長以下2名は着陸船で月面に降下した。着陸船は月面に着陸し、アームストロング船長がステップを下りて月面に着地した。船長がステップを下りて、最後のステップからスローモーションで月面に着地する画像が同時中継でテレビに映し出された。このとき船長は「この一歩は小さな一歩だが、人類にとって大きな一歩だ」と言った。このセリフも有名なセリフとなった。

月面に立てた星条旗とオルドリン飛行士
月面探査機と宇宙飛行士

船長たちは月面に星条旗を立て、月面で石を採取したり月面を探検したり、月の起源に迫るような探求をした。月面で2名の宇宙飛行士が宇宙服を着て作業する様子は、同時中継のテレビ画像で世界中の人々に届けられた。宇宙飛行士2名は月の石を採取して着陸船に戻り、アポロ11号に戻った。

帰還

月から見た地球

アポロ11号は地球へと出発し、4日間の宇宙飛行の後地球に到着した。3名の宇宙飛行士は着陸カプセルから回収され、最重要汚染物として隔離室に入った。月面にはどんなウイルスや生物が潜んでいるか分からないのである。宇宙飛行士の体にウイルスや未確認生物が潜んでいる可能性があり、隔離室で検査を受けた後、3名は記者会見に臨んだ。

疑惑ポイント

「2001年宇宙の旅」などの映画で知られるスタンリー・キューブリック監督が死亡する3日前に「NASAから頼まれてアポロ月面着陸の映像を撮影した」と告白する動画が最近公開された。彼が死亡したのは1999年3月7日であり、彼が死亡してから15年後に公開するとの約束であったそうだ。

月面着陸の映像の疑惑は次の2点だ。

  • 空気がないはずの月で星条旗がパタパタとはためくはずがない
  • 太陽は1つなのにさまざまな方向に宇宙飛行士たちの影が向いている

月面着陸の動画

地球を取り巻く人体に有害な放射能の帯「ヴァン・アレン帯」を、当時の薄い鉄板の宇宙船で通り抜けてなぜ宇宙飛行士たちは死ななかったか。

NASAはアポロ11号月面着陸に関するオリジナル映像や記録データを紛失した。そのような貴重なものを失くすということは何かを隠蔽するためではないか。

早稲田大学名誉教授の大槻教授は、アポロ11号が月から持ち帰った石を東大物性研究所で鑑定したところ、ただの「石ころ」としか思えず本当に月の石か疑わしい、と述べている。

カプリコン1

アポロ11号の月着陸から間もなく、「カプリコン1」という映画が上映された。

アメリカの宇宙基地から火星に向けて、宇宙飛行士3名が乗った宇宙船カプリコン1が打ち上げられた。ロケットの打ち上げや船内の乗組員の状況が世界中に同時中継され、世界の人々がテレビで打ち上げを見守った。

宇宙船は無事に火星に到着し、火星の探索や鉱物の採取などをしている状況が同時中継で世界に放送された。だが、打ち上げられたのはロケットだけで、宇宙飛行士3名はアメリカの撮影スタジオにある火星の撮影セットで、あたかも火星で活動しているような映像を放送していた。

ロケット開発が充分に進捗せず、人を安全に火星に飛ばせる技術が間に合わなかった。しかし打ち上げを世界に公言していたため、やむを得ずロケットだけを火星に飛ばして宇宙飛行士はスタジオで火星にいるふりをしたのだ。

火星の活動を終えて宇宙船は地球に向かった。大気圏への再突入の際、数千度にもなる温度に宇宙船が耐えられず燃え尽きてしまった。レーダーから宇宙船が消えて、世界中から宇宙船が燃え尽きたことを知られた。

宇宙飛行士3名は死んだことになってしまい、航空局は3名の抹殺を画策した。飛行士たちは殺されることを察知し、航空局から逃走した。2名は殺害されたが、1名はなんとか自宅前まで逃げ切り、自宅の玄関に向かって笑顔で走るところで映画は終わっている。

この映画は封切後2週間位で上映が打ち切られている。私は運よくこの映画を見ることができた。アポロ11号の月面着陸から間がないタイミングで上映されたこの映画が案外真実を語っているかもしれない。

ソ連がアメリカに先駆けて宇宙飛行を成し遂げ、更にガガーリン少佐の神はいなかった発言に挑発されてケネディー大統領は宇宙開発をあせってしまい、60年代の終わりまでに月に人間を送る、と宣言してしまった。しかし、1969年までにNASAがロケットを開発できていなかったとしたら、カプリコン1のように月面着陸をでっち上げなければならなかったことだろう。 

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