マスコミが大挙して押し掛けた秋田の2大事件

事件

クロールピクリン殺人事件

事件発生

1982年8月19日未明、角館町の町はずれの農道で、18歳の女子高校生A子と21歳の大工Bは農道に駐車した車の中でデートしていた。2人がイチャイチャしたりお喋りして騒がしいのが頭に来たKは、2人に農薬のクロールピクリンを浴びせ掛けた。クロールピクリンは空気に触れると気化して呼吸と一緒に肺に入り、酸素を取り込む肺の組織を破壊するため窒息死する。Bはすぐに水田の水で掛けられた液体を洗い落としたが、A子はすぐに洗い落とさなかった。すぐに洗い落としたBは助かり、洗い落とさなかったA子は死亡した。洗い落とすタイミングの差で生死が分かれることとなった。救急隊が駆け付け2人を救助したが2人とも意識を失っており、警察も臨場したが意識不明となっている2人からは事情聴取できなかった。Bは意識不明、A子は死亡して車内にはツーンとした刺激臭が漂っていた。警察は当初無理心中ではないか、と判断した。

捜査の展開

丸一昼夜意識不明であったBが意識を回復し、何者かに液体を浴びせ掛けられた殺人及び殺人未遂事件であることが判明し、警察の捜査が始まった。警察は付近の聞き込み及び浴びせ掛けられた液体の鑑定などを進め、液体は劇薬指定の農薬クロールピクリンと鑑定された。

事件から2日後の8月21日、秋田市居住のA子の元彼氏が自殺未遂をした。「A子1人で逝くのは可哀そうだ」との遺書を書いていた。

更に3日後の8月24日、A子の父親が「警察に疑われて苦しい」旨の遺書を残して自殺した。

この2件の自殺未遂・自殺で人々は大騒ぎとなった。犯人は父親だったのか、など憶測が飛び交いテレビ、新聞、週刊誌は大挙して角館町に押し掛け、報道合戦を繰り広げた。当時人気レポーターだった東海林のり子と前田忠明も角館町に来て、連日事件の続報をテレビで報告した。週刊誌の中には「現代の八つ墓村」と見出しをつけて報道するものもあった。陸奥の小京都と言われ、武家屋敷や桧内川沿いの桜で有名な観光地の角館町が、マスコミだらけの騒がしい町となってしまった。

警察の地取り捜査や鑑識捜査が続けられたが、犯人の手がかりはなく捜査は暗礁に乗り上げていた。クロールピクリンは劇薬であるが、農業を営んでいる家ではほとんどが使っているものであり、たいていの農家にはクロールピクリンがあった。クロールピクリンの捜査からは目立った手がかりを得られず、A子やBに対する恨みの線からも犯人に繋がる手がかりは出てこなかった。

容疑者の浮上

警察の地取り捜査で、酒癖が悪く、近所とのトラブルが絶えないKが捜査線上に浮上した。長男夫婦は家を出て、妻と次男も家を出ておりKは一人暮らしであった。また、現場まではすぐ目と鼻の先であった。事件から1か月後の朝、警察はKに任意同行を求めた。12時間以上の取り調べにより、Kは最初は知らぬ存ぜぬを主張していたが次第に態度を軟化させ、同日夜になって2人にクロールピクリンを浴びせ掛けたことを自供した。自供に基づいてKの自宅敷地内の土の中からクロールピクリンの空き瓶が発見され、Kは逮捕された。

妻、長男夫婦、次男に家を出て行かれ1人取り残されたストレスが原因で、近所でイチャイチャして騒いでいた2人に激高しての犯行であった。

父親の自殺との関係

本事件発生から角館町にマスコミが大挙して押し掛け大騒ぎとなったのであるが、結果はKの単独犯行であり父親は事件とはなんの関係もないことが判明した。父親の自殺は今もって原因不明である。現代の八つ墓村とまで表現された事件であったが、犯人Kの逮捕・起訴をもって騒ぎは沈静化に向かって行った。

秋田児童連続殺害事件

事件発生

2006年4月9日、犯人S女は長女A子ちゃん(9歳)を藤里町の藤琴川にかかる橋の上から川に突き落として、A子ちゃんを水死させた。翌日、藤琴川の中州にA子ちゃんの水死体があるのが発見され、警察が検視を行った。A子ちゃんには目立った外傷もなく、警察は水遊び中誤って川に転落した事故死と判断した。

親戚たちの疑惑

S女はA子ちゃんと2人暮らしであったが、生来の怠け癖から家事・育児に無頓着で、A子ちゃんに対して十分な食事や生活の世話をしていなかった。A子ちゃんを何日も風呂に入れず、A子ちゃんの体から異臭がしたことがある、と近所の人が証言している。

そんなS女の生活態度から、親戚達はS女がA子ちゃんのことを疎んで殺したのではないか、と疑っていた。S女は親戚たちの疑いから目を反らすため、何度も警察に足を運んで、「A子ちゃんは事故でなく変質者に殺された、犯人を捜査してくれ」と訴えていた。

S女のパフォーマンスに対して親戚達は疑いを捨てず、S女は実際に児童に危害を加える変質者がいることを実現しなければならなくなった。

第2の犯行

5月18日、S女宅の2軒隣のG君(7歳)が遊びに来た際、S女はG君の首を絞めて殺害した。そして、同日夜になって死体を自家用車に積んで、米代川河川敷に遺棄した。

夜になっても家に帰らないG君のことを、両親及び近所の人々は必至に探していた。死体を遺棄した後のS女も捜索に加わったが、このときのS女は顔面蒼白、呼吸困難でいまにも倒れそうな様子だったそうだ。近所の人達はS女に対して自宅で休養するように言った。なんの罪もない児童を殺した罪悪感は、S女の体に大変な症状を呈していたと思われる。

事件の報道

7歳の児童の絞殺死体が発見されたことで報道は過熱し、テレビ、新聞、週刊誌が大挙して藤里町に押し寄せた。児童を狙う変質者の犯行か、それとも殺人を楽しむ愉快犯なのか、報道は過熱し熾烈な報道合戦が繰り広げられた。

しかし、殆どのマスコミはS女の自宅に張り付いていた。S女を最初から犯人と判っていたのだ。S女がコンビニに買い物に行けば何十台というマスコミの車が追尾し、S女が散歩すれば何十台というマスコミの車が追尾した。S女の自宅周辺の人々はマスコミからマイクを向けられ、インタビュー攻めに遭っていた。いつ警察がS女を逮捕するのか、虎視眈々と報道の機会を狙っていた。

犯人の逮捕

6月4日、警察はS女に任意同行を求めS女の自宅や自家用車を鑑定した結果、G君の血痕や体液を採取しS女を死体遺棄で逮捕した。その後、S女はG君の殺害を認め殺人で再逮捕された。

逮捕前はマスコミが、S女が身を寄せていた実家を包囲し過激な報道合戦を繰り広げ、逮捕後は各社が競って事件の概要、動機などを報道した。マスコミの報道は過熱の一言で、S女が身を寄せていた実家は勿論、周囲の人々のプライバシーも顧みず、他人の敷地に無断で入ったり、常識はずれの時間にインタビューしたりといった取材・報道がなされた。

S女は当初、A子ちゃんが河原でよく石を積んで遊んでいたので、その際足を滑らせて川に転落したかもしれない、と申し立てていた。しかし、G君殺害の調べが一段落した後、A子ちゃんについても川に突き落として殺害したことを自供した。警察が事故死として処理したのが、実は殺人事件であったのだ。警察の大失態であった。

裁判

秋田地方裁判所での審理でS女は素直に罪を認め、裁判は順調に進んだ。判決公判では無期懲役の判決が下された。判決直後S女は傍聴席に向かって土下座し、G君の両親に向かって「G君を奪い申し訳ありません」と謝罪したそうだ。

コンビニ強盗事件など

能代市在住のNは、児童連続殺害事件で警察は事件捜査に手が回らないだろう、と考えて能代市内のコンビニ4店舗に押し入り現金を強奪した。G君の死体発見、S女の逮捕などの捜査の動きがある度に強盗に入った。警察が忙しいときを狙って犯行に及んだのであるが、結局逮捕された。

また、青森県弘前市居住のMは、同じように警察は忙しくて手が回らないだろう、と考えて能代市内の郵便局に強盗に入って現金を強奪したが、Mも同じように逮捕された。

児童連続殺害事件で警察は多忙であったが、一般治安は弱くなかった。2人の人間が警察の間隙を縫って強盗事件を敢行したが、結局逮捕された。日本の警察は優秀である、という世界の評判のとおりであった。

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