トリカブト毒とフグ毒を用いた保険金殺人事件

事件

結婚歴

Kは昭和40年に26歳で最初の結婚をしている。最初の妻は昭和56年に心筋梗塞で急死した。2回目の結婚は昭和56年で、2番目の妻は昭和60年に心臓マヒで死亡している。このときKは1千万円の保険金を受け取っている。

2番目の妻が亡くなって4か月後の昭和61年2月、Kは3番目の妻R子と結婚した。

R子の死

昭和61年5月20日、KとR子は沖縄旅行をしていた。那覇空港でR子のかつての職場の同僚3人と合流し5人で石垣島へ観光する予定だったが、Kが仕事の都合で那覇空港に残り、午前11時40分頃R子と同僚3人が石垣島に行った。

石垣島川平湾

石垣島に到着した後の午後1時20分頃、R子が急に苦しみだし、大量の汗、嘔吐、痙攣を発症したため同僚たちは救急車を呼び、R子は八重山病院へ救急搬送された。病院での治療の甲斐もなくR子は午後3時4分死亡した。

検視

R子は変死にあたるため琉球大学で行政解剖が行われた。執刀は琉球大学医学部助教授大野曜吉であった。大野医師の見立てでは心臓にうっ血が見られるものの、内臓などに異常はなく急性心不全と診断した。しかし、石垣島に旅行するほど健康な人間が急に心臓発作を起こすことに疑問を感じた大野医師は、心臓と心臓血30ミリリットルを保存した。この心臓血保存が後に効いてくることとなった。

解剖後、KにR子の遺体を返す際、Kが「臓器はR子の体内に全部戻しましたか」と聞いてきたことで大野医師はKに対する違和感を持ったとのこと。

R子の葬式

KはR子に、職業は公認会計士だ、と言っていたがR子の同僚が会計士名簿を見たところKの名前がなく嘘だったことや様々な疑惑があり、同僚達はKに対して不信感を抱いていた。R子の葬儀はKの居宅で執り行われた。その際、同僚がKの本棚にトリカブトの本やフグの本が大量にあるのを見つけ、Kに対して「R子をトリカブトやフグの毒で殺したのでないか」と詰め寄り、場が紛糾して真面な葬式が出来なかったそうである。

保険金請求

KはR子に4社合計1憶8,500万円の保険を掛けていた。しかもR子が死亡する20日前に契約し、月額合計保険料は18万円にもなるが1回払った段階でR子が死亡したのである。保険会社は保険金支払いを留保し、これに対してKは保険金支払いを求める民事訴訟を起こした。

第一審判決はKの訴えを認めて保険会社に保険金の支払いを命じたが、控訴審で証人出廷した大野医師から「死亡原因はトリカブトの毒による中毒死」との証言が飛び出した。Kはすぐに裁判を取り下げ、行方を晦ました。

大野医師の研究

トリカブトの花

大野医師は保存した心臓血の毒物反応を研究していたのであるが、心臓のうっ血の状況と同僚から聞いたR子の死亡直前の症状から、トリカブトに関する参考文献の中にR子の症状と似た記述を発見し、R子はトリカブトの毒による中毒死との考えに至っていた。

東北大学医学部にも協力依頼してR子の心臓血からの毒物反応を試行錯誤した結果、トリカブトの毒を検出した。

警察の捜査

雑誌FOCUSがトリカブト殺人疑惑を報じたことから、新聞や週刊誌もトリカブト殺人の疑惑を嗅ぎ付け過激な報道合戦を繰り広げるようになった。連日Kの疑惑を報道し、それに対してKはテレビに出演し、自身の疑惑を否定する言動を繰り返していた。

新聞、雑誌による保険金殺人疑惑が頻繁に報じられ、警視庁は報道先行の苦しい捜査を強いられていた。しかし、内偵捜査を着実に推進したところ、Kにトリカブト69鉢を売った園芸店を割り出し、クサフグ1千匹以上を売った漁師を割り出した。更に、Kが密かに借りていたアパートを検証したところ、畳からトリカブトの毒を検出した。

また、Kは連日銀座の高級クラブで豪遊しており、愛人も常に3,4人囲って派手な暮らしぶりであることが判明した。多額の借金もあり、保険金殺人の動機も十分にあった。

これらの事実を元に、平成3年7月1日Kを殺人及び保険金詐欺未遂で逮捕した。R子の死から5年が経過していた。

アリバイ

トリカブトの毒は即効性の毒であり、摂取すると即座に苦しみだして死亡する。Kが午前11時40分頃那覇空港でR子と別れてから、R子が石垣島で苦しみだす午後1時20分頃まで1時間40分の時間がある。R子が苦しみだした石垣島ではKはトリカブトの毒を摂取させることができなかったことを主張し、Kは容疑を否認した。

KはR子さんに、ビタミン剤だと言って1日数回カプセルを飲ませていた。那覇空港で分かれる際、R子にトリカブト入りカプセルを飲ませたとしても、即座に苦しみだすはずである。1時間40分も経過してからR子は苦しみだしているのだ。

大野医師はトリカブトの毒(アコニチン)とフグの毒(テトロドトキシン)を摂取する実験をしていた。トリカブトの毒とフグの毒は互いに毒性を抑制する効果があることを突き止め、両方の毒をある比率で混合したところトリカブトの毒の発現が1時間以上遅れることを発見した。R子の心臓血からはフグの毒も検出されていた。

これによりKのアリバイは崩れたのである。

裁判

平成6年東京地裁はKに対して無期懲役の判決を下し、東京高裁の控訴審でも無期懲役を支持した。Kは最高裁に上告したが、平成12年上告棄却により無期懲役が確定した。

平成24年、Kは大阪医療刑務所で病死した。享年73歳であった。

この事件では大野医師が心臓血を保存していたことからトリカブトの毒を検出して事件解決に大きく貢献した。各都道府県の法医学部医師による解剖に際して、この事件以後必ず遺体の心臓血を保存するようになった。

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