若一光司著「毒殺魔」を読んで

読書感想文

デリヘル嬢リョウ

広川秀樹はテレビプロデューサーをしている。ある日デリヘルを利用し、派遣された女の子はリョウという名前であった。リョウとは沖縄のイシカワガエルやタコの滑り台などの話題で盛り上がった。リョウが帰った後、メモ紙が落ちており「加賀雄二郎」という名前と港区赤坂の住所が書かれていた。加賀雄二郎は日本の著名な建築家であり、有名な建築物を多数設計している人物であった。沖縄にも別荘を所有しており、沖縄の著名人の別荘は殆ど加賀雄二郎の設計によるものであった。

加賀雄二郎の死

数日後、テレビのニュースが加賀雄二郎の死亡を伝えていた。毒物による死亡らしいが、事件・事故両面で捜査している、との内容であった。毒物の種類は判明しておらず、鑑定などの捜査を実施中とのこと。リョウが残したメモと同じ名前の加賀雄二郎が死亡したことで、秀樹は加賀雄二郎の死にリョウが関係しているのだろうか、と不安になった。

すこやか児童公園事件

港区白金台のすこやか児童公園で、遊んでいた児童13人の体調が悪化し病院に搬送されて、4人が死亡する事件が発生した。児童たちは公園で飲食はしておらず、また不審者の情報もなく原因は不明であった。警察は、何らかの毒物によるものと発表していた。

警察の捜査の結果、鉄棒、ブランコ、滑り台などに液体状の毒物が塗布されていたことが判明したが、毒物の種類は不明であった。

犯行声明文

すこやか児童公園事件から間もなく、日読新聞社に犯人からの犯行声明文が送られてきた。犯行声明文は、

すこやか児童公園の毒物事件と加賀雄二郎毒殺事件は自分の犯行である。この毒物は沖縄の悠久たる自然が生み出した奇跡の賜物である。米軍基地の弊害に喘ぐ沖縄県民の苦難の毎日を、国民の99%を占める「沖縄以外の日本人」は知らぬふりをしている。リゾート気分で沖縄を旅行して、お客様気分で沖縄を満喫して帰って行く。そんな「沖縄以外の日本人」にこれからも毒物事件を起こす。自分はマジムン(バケモノ)となって沖縄以外の日本人に報復する。

という内容であった。秀樹がリョウと会ったとき、リョウもマジムンという沖縄方言を使っており、犯行声明とリョウが関係しているのか、と思った。

毒物の正体

警察の鑑定の結果、すこやか児童公園で使用された毒物は「パトラコトキシン」という南米のカエルの分泌物に含まれる猛毒に成分がよく似ていることが判明した。中南米に生息するヤドクガエルという猛毒を持ったカエルがもつ毒と成分が似ている、とテレビの解説者は推測していた。

深見公園事件

更に数日後、大阪市中央区の深見公園で遊んでいた児童と保護者が相次いで体調不良となり8人が病院に搬送されたが、4人の児童が死亡し2人が重体となった。この事件では砂場で遊んでいた児童と保護者が被害に遭っており、砂の中から液体の毒物が検出された。

児童公園の毒物事件ということですこやか児童公園の事件と関連し、連続毒物事件の様相を呈してきた。

シトウ・マサト

シンガーソングライターのシトウ・マサトが人気を博して、各地でコンサートを開催していた。各地のコンサートでは満員の観客が詰めかけ、絶大な人気を誇っていた。すこやか児童公園と深見公園の事件はシトウ・マサトのコンサートの翌日に発生しており、距離もコンサート会場から歩いて数分であった。

シトウ・マサトは近日中に大阪でコンサートを開く予定であったが、毒物事件との関連があると思料されたので中止することにした。中止を発表する記者会見が開かれ、シトウ・マサトが中止に至った経緯を報告していた。「自分は沖縄出身であるが、沖縄の住民は戦後米軍の統治下に置かれ、日本に見捨てられてきた。本土返還になっても米軍基地の弊害に苦しみ続けている。日本の沖縄差別に対して復讐の痛打を加えるため毒物事件を起こした。毒物事件の犯人は自分である。これがその毒である。」とスプレー缶を掲げて自分の口に噴射した。

関係者がシトウ・マサトに殺到したが、シトウ・マサトは死亡した。警察の鑑定の結果、シトウ・マサトが所持していた毒物は3件の毒物事件と同じものであった。

リョウの生い立ち

リョウは沖縄で生まれ、小学生のとき脱走米兵によって父親を殺された。数か月後、母親も心労から体調を崩して亡くなっている。その後叔父の家に預けられ、叔父から性的被害を受け続けた。中学生のとき父が遺したカエルの毒で叔父を殺し、叔父の家から出て一人暮らしをした。

リョウは生活費を稼ぐため援助交際をしていた。相手は加賀雄二郎という東京の建築家であり、加賀は沖縄に別荘を持ち、月の半分は沖縄で暮らしていた。リョウに思いを寄せる知花という同級生がいた。知花君はリョウが援助交際をしていることを知り、加賀雄二郎に対してリョウから手を引くよう要求し、暴力をふるってしまった。

後日知花君が2人組の暴漢に襲われ、頭を殴られて重傷を負った。リョウは、加賀雄二郎の仕業だ、と思ったが証拠はなかった。知花君は後遺症で歩行困難となり、視力も殆ど失った。

リョウは高校生となり、文芸部に入った。文芸部の先輩で大城修英がいた。リョウは大城と文芸部の活動をしながら親しくなり、大城が作詞作曲をしていて将来シンガーソングライターを目指していることを知った。その後、大城と一度だけ抱き合ったことがあった。高校卒業後、大城は東京へ旅立った。

リョウが暮らしていたアパートに黒人米兵が訪ねて来て、リョウが米兵を怒らせてしまい強姦されてしまった。その後リョウは妊娠し、男の子を出産して英貴と名付けた。

リョウは英貴と穏やかな日々を過ごしていたが、英貴が2歳のとき米軍飛行機が墜落する事故があり、飛行機の破片が英貴の頭に当たって死亡した。米軍は飛行機の墜落現場を封鎖し飛行機の残骸を撤去したため、警察や航空機調査委員会の捜査が出来ず、英貴の死亡原因はウヤムヤとなった。

報復

リョウは米兵に父母を殺され今また英貴も米軍に殺されて、沖縄に米軍基地の負担を押し付け知らんぷりの日本人に報復することにした。父が遺したカエルの毒を使って沖縄以外の日本人に痛切な悲しみを与えることとした。

リョウは知花君を訪ねた。知花君は完全に失明しており、車椅子の生活であった。知花君の姿を見てリョウは涙が止まらず、加賀雄二郎と沖縄以外の日本人に復讐するつもりであることを話した。

リョウは加賀雄二郎の家を張り込んでいた。加賀雄二郎が家から出てきたところで加賀雄二郎に毒を噴射しようと近づいたところ、大城修英に止められた。大城は知花君から連絡を受けて、リョウを止めようと加賀雄二郎を張り込んでいたのだ。大城はシトウ・マサトの名でシンガーソングライターとして人気ミュージシャンとなっていた。大城は、リョウからカエルの毒と犯行声明文を奪い、リョウが実行するはずだった報復は自分がする、と言った。

大城は加賀雄二郎を毒殺し、東京と大阪で遊園地で毒を塗布して無差別殺人を実行した。犯行声明文を日読新聞に送り記者会見を開き、沖縄の恨みをテレビで訴えた。そして、毒を披露して自分で毒を吸って自殺した。

ある女が焼身自殺する動画がSNSにアップされ、焼死体のDNAと犯行声明文に付着したDNAが一致した。警察は、毒殺事件と自殺した女の関係は不明である、と発表した。

沖縄の基地問題は私にとっては他人事であり、遠い彼方の出来事であった。この小説で沖縄の人たちの苦悩を知り、米軍基地に対する怨念の深さを痛感した。沖縄以外の日本人に対する報復を考えたリョウや大城の怨念が心に突き刺さってくるように感じた。

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