三菱銀行人質立て籠り事件

事件

事件発生

昭和54年1月26日午後2時30分頃、大阪市住吉区にある三菱銀行北畠支店に猟銃を持った男が押し入り、いきなり天井に向けて2発発射し、行員に対してお金を要求した。行員の一人が非常通報電話で通報しようとして、男に射殺された。お客の一人は銀行から逃れて近くの派出所へ自転車で駆け込み、派出所の警察官1人が銀行に臨場した。警察官は威嚇射撃をしたが、男は警察官を射殺した。また、別の行員が非常通報装置を押して警察に通報し、いち早くパトカーで現場到着した2人の警察官に対しても男は発砲し、1人が死亡、1人が重症を負った。

銀行の包囲

銀行からの非常通報で警察官が銀行に臨場し、銀行は警察官によって包囲された。男は銀行のシャッターを降ろさせて銀行に籠城した。このときの人質は行員とお客会わせて39人であった。

警察はパトカー113台、警察官644人で包囲し、男に対して人質の解放と投降を呼びかけた。男は支店長に対して「さっさとお金を渡さないからだ、お前のせいだ」と支店長を射殺した。

犯人の悪行

男は人質に対して悪逆の限りを尽くした。女子行員を全裸にして自分を取り巻くように立たせ、警察の狙撃から自分を守る肉の盾としたり、人質の中で長老格の行員がおり他の人質を励ましたりしていたが、その人に対して「生意気だ」と発砲し重症を負わせた。

男は人質に対してトイレに行かせず、人質たちはカウンターの隅で用を足した。

身元判明

梅川昭美

1月26日深夜、岐阜県多治見市で職務質問を受けた男が、「梅川昭美からライトバンを盗むよう頼まれ、三菱銀行で銀行強盗をやろうと誘われた」と供述し、三菱銀行立て籠り犯は梅川昭美(30歳)と判明した。また、この男の供述から梅川が15歳のとき強盗殺人を犯し、少年院送致されていることが判明した。

警察の対応

警察は銀行の2階に捜査本部を設置し、大阪府警本部長吉田六郎が現地で捜査指揮を執った。直径1ミリのファイバースコープを銀行の壁に開けた穴から差し込み銀行内の様子を覗いたところ、死体が数体転がり、人質が待合室の隅でしゃがんでおり、全裸の女性行員が肉の盾にされている異様な状況が見えたそうである。

警察は梅川の母親と亡父の弟を現場に呼び、母親がメガホンや電話で梅川の説得を試みたのであるが、梅川は電話を切って説得に応じなかった。

梅川の挙動

梅川は銃を突きつけ人質をいたぶって楽しんだり、些細なことで癇癪を起して暴れたりを繰り返した。警察に対して食べ物やラジオの差し入れを要求し、要求どおりの物が来ないと電話で警察に猛抗議をした。

人質に自分の服を着させて弾を抜いた銃を持たせ、自分は人質の服を着て人質のふりをして警察の突撃に備えたり、行員に現金500万円を渡し自分の借金先に返済させたりした。

三菱銀行北畠支店を包囲する警察

突撃

1月28日未明、籠城から40時間以上が経過し、人質の体力は限界だと判断した吉田本部長は突撃を命じた。梅川が居眠りして銃から手が離れていた状況で行員が手を振って合図し、大阪府警機動隊特別部隊(現在のSAT)が銀行内に突撃し、梅川を狙撃して人質を解放した。

梅川は首、胸などに3発の銃弾を受け瀕死の重症で病院に運ばれたが、病院で死亡した。

銃刀法の改正

梅川は猟銃所持許可を持っており、猟銃を所持していた。この事件以後、銃砲刀剣類所持等取締法が改正された。殺人、強盗などの重大犯罪を犯して5年以上経過していない者に所持許可を与えない、など大幅な所持許可の欠格事由が新設された。

タイトルとURLをコピーしました