捕まらない身代金目的誘拐のやり方

読書感想文

智士と辰司

居酒屋店員智士と警察官辰司は、東京の下町浅草に住む幼馴染である。2人に保育士彩織を加えた3人は仲良しで、小さい頃からよく一緒に遊んだ仲間である。

昭和63年当時はバブル期で、世の中が好景気に沸き立っていた。不動産会社は土地を買い占めてマンションを建て、販売して利益を上げる商売を繰り返していた。浅草界隈でも一般住宅に住んでいる人が不動産会社から土地を買いたい旨を言われ、立ち退きを断るとヤクザなどの嫌がらせに遭い、泣く泣く先祖代々の土地を手放す人が出ていた。

智士と辰司の知り合いでも不動産会社から大金を支払われて土地を明け渡す人がいた。浅草で土地買い占めをしていたのは東芳不動産という会社であった。

地上げ

東芳不動産は土地の持ち主に土地の明け渡しを要求し、要求に応じない者には様々な嫌がらせをした。土地の所有者の玄関にブタの生首を置いたり、ヤクザのような若者数名が土地の所有者宅で凄んだりした。その結果土地を手放したり、家から出られなくなり熱中症で死亡する高齢者が出たりした。

彩織の女友達夫婦は大金を受け取って土地を売り引っ越したが、その夫が受け取った金でギャンブルにはまり家に寄り付かず、女友達がひとり取り残され育児ノイローゼになって子どもを餓死させる事件が発生した。

沙織は東芳不動産のやり方に不満を抱いておりお灸を据えてやりたい、と智士と辰司に相談した。3人は東芳不動産の社員の子どもを誘拐して身代金を奪う方法を考えた。

誘拐

警察官である辰司の発案で、平成元年2月24日は崩御した昭和天皇の大喪の礼があり、東京都の警察官が総出で警備に当たるから一般捜査が手薄になり絶好のチャンスだ、ということになった。3人は智士の勤務先の後輩翔と彩織の祖父道乃介を仲間に加え5人で誘拐を実行することとした。

2月23日に東芳不動産の社員2名の子ども2人を誘拐し、彩織の家で子ども2人を預かり、その間に東芳不動産の社員2名の家に身代金要求の電話を架ける。翌2月24日大喪の礼の最中に身代金を受け取ることとした。

2月23日、辰司と彩織は普通車で小学校の下校道路で子ども2人を待ち受け、彩織が2人に「会社で大変なことがありあなた達のお母さんはそっちに行っている」と声を掛けて2人を車に乗せた。2人を彩織の家に届け、彩織と道乃介が子どもの面倒を見た。智士と翔はそれぞれ子どもの親に電話し「子どもを誘拐した、1億円用意しろ、明日また電話する」と告げた。

2月24日、智士と翔はそれぞれ子どもの親に電話し、父親が身代金を持って家から車で出発するよう指示した。警察の張り込みを警戒して何か所か駅や駐車場の公衆電話を指定して向かわせ、電話で次の場所を指定して移動させた。最後に都電に乗車させ「進行方向右側の外に赤いハンカチが見えたら窓からカバンを捨てろ」と指示した。

智士と翔はそれぞれ赤いハンカチを巻いた標識の傍で電車を待っていた。そこは人通りのない下町の奥まった一角であった。やがて電車が通過し、窓からカバンが放られた。智士と翔はそれぞれカバンを回収して1億円ずつ2億円の現金を持って彩織の家に向かった。

アレルギー

智士は身代金を受け取ったことを彩織に報告しようとして公衆電話から彩織に電話したが、なかなか電話に出なかった。やっと電話に出た彩織はしどろもどろであり、ようやく聞き取れた内容は子ども2人のうち1人が死んだ、というものであった。彩織は「子どもへの朝食にグラタンを出したが、しばらくすると子供の1人が苦しみだし意識がなくなった、グラタンの中の牛乳に対するアレルギーかもしれない」と言った。

智士たち5人は子どもを親に返すこととし、生きている子どもは眠っている間に公園のベンチに置き、その場所を親に電話した。そして、死んだ子どもは人気のない場所に置き、その場所を親に電話した。

智士の死

智士は子どもの死に対して責任を感じ、誘拐を主導した自分の責任だ、と良心の呵責に苛まれた。東芳不動産の地上げに対してお灸を据えるつもりが、自分は地上げより何倍も罪が重い殺人を犯した。子どもの人生を奪った責任は取らなければならない、と辰司の見ている前で橋の欄干に紐を掛けて首吊り自殺した。

物語は20数年が経過し、辰司が何者かに殺害される。辰司の息子亮輔と、警察官となった智士の息子賢剛は辰司殺害の真相を探るうち、平成元年の身代金目的誘拐事件が智士と辰司らによるものと探り当て、辰司の死の真相も解明してゆくのだった。

平成元年の昭和天皇大喪の礼の最中に身代金を受け取るという奇抜な発想に驚いた。大喪の礼の最中は警視庁警察官が警備最優先で職務に当たることとなり、一般事件捜査は手薄となる。その間隙を縫って身代金を手にした作戦は見事であった。

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