パリ五輪女子バレーボールで全日本女子は予選リーグ1勝2敗で予選敗退となり、全日本女子の試合はすべて終了した。予選最終戦のケニア対日本が終了後、古賀紗理那はコートに突っ伏して号泣した。日の丸を背負い、キャプテンとしてチームをけん引してきた重圧など万感の思いがあったことだろう。
2015W杯
2015年11月のバレーボールワールドカップで、古賀は木村紗織の対角エースとして国際試合デビューした。古賀は木村紗織に匹敵するほどのスパイク決定率と安定したサーブレシーブを見せた。ロシア、セルビア、中国などは190センチ台のブロックが2枚または3枚跳んでくる。そのブロックを相手にして高校卒業したての古賀が高いスパイク決定率をあげていた。
またサーブレシーブも高い返球率でセッターに返球しており、高校卒業したばかりの選手が国際試合でこんなに上手なサーブレシーブをするのか、と思った。
全日本はこの大会で4位となり、リオデジャネイロ五輪出場権が与えられる3位以内に入れず、2016年のリオ五輪最終予選に持ち越しとなった。
2016リオ五輪最終予選
2016年5月のリオ五輪最終予選で、全日本は初戦南米の古豪ペルーと対戦した。立ち上がり古賀は3本連続ブロックされた。この被ブロックで古賀は調子を崩し、ペルー戦後半はベンチに下げられた。その後の試合でも調子が上がらず大会が終了した。この大会で全日本はリオ五輪出場権を獲得した。
直後に発表されたリオ五輪メンバーに古賀の名前はなかった。小学生からバレーボールを始めて常にレギュラーとして活躍したのであるが、このとき初めてメンバー落選の経験をした。古賀にとって厳しい経験であったと思うが、貴重な糧となったことだろう。「良薬口に苦し」である。
2021東京五輪
2021年東京五輪では初戦のケニア戦で、ブロックから降りた際相手選手の足を踏んで足首をひねり負傷退場となった。その後の試合はすべて観客席からの見学となり、不本意な五輪であった。全日本は予選敗退であり、古賀も全日本も屈辱の大会となった。
2024ネーションズリーグ
2024年ネーションズリーグで古賀はキャプテンとして大会に臨んだ。予選リーグからキャプテンとしてチームをけん引し、準々決勝進出を決めた。準々決勝で中国を破り、準決勝でブラジルと対戦した。
強豪ブラジルとの闘いは一進一退が続き第5セットに突入した。古賀はプレーでチームを引っ張り、スパイク、ブロック、サーブで活躍した。勝負は古賀とブラジルのエースガビとの打ち合いとなり、わずかの差で全日本が勝利した。
決勝はイタリアとの対戦となったが、体格で劣る全日本は高さ、パワーで圧倒され完敗であった。しかし、全日本は堂々の銀メダルに輝いた。そして、古賀はベストアウトサイドヒッター賞を受賞した。
パリ五輪
パリ五輪1次リーグはポーランド、ブラジル、ケニア、日本の4チームによるリーグ戦であった。第1試合ポーランド戦は203センチのポーランドのエースステシアクの強打になすすべなく、セットカウント3-1で敗れた。第2試合ブラジル戦もブラジルの総合力の前に圧倒され、セットカウント3-0のストレート負けであった。いずれの試合も古賀がチーム最多得点を上げて奮闘したが、勝利を掴むことはできなかった。
第3試合ケニア戦はセットカウント3-0のストレート勝ちであったが、第1戦と第2戦の黒星が響いて予選敗退となった。ケニア戦終了後チーム全員で記念撮影し終わったとき、古賀はコートに突っ伏して号泣した。思うような結果がでなかったことやキャプテンとしてチームを引っ張った3年間のことが思い出され涙が溢れたことだろう。また、パリ五輪で現役引退を表明していたこともあり、バレーボール人生の色々なことが脳裏に蘇ったかもしれない。
高校2年生で全日本に招集されてから12年間、日の丸を背負ってバレーボール人生を駆け抜けた努力と奮闘に賛辞を送ります。今後はバレーボールの指導者となって、未来の金メダリストを育成して欲しいと思っている。