男子バレーボールのセッターベスト3

バレーボール

猫田勝敏

猫田勝敏
猫田勝敏

1964年東京オリンピック、1968年メキシコオリンピック、1972年ミュンヘンオリンピック、1976年モントリオールオリンピックの4大会連続出場し、東京で銅メダル、メキシコで銀メダル、ミュンヘンで金メダルを獲得している日本の絶対的セッターである。

猫田は相手ブロックを振るトリッキーなトスのセッターではなく、味方の選手が打ちやすいトスを上げるセッターである。アタッカーがスパイクミスをすると、「俺のトスが悪かった、すまん」とアタッカーに謝罪する姿勢を貫いていた。

金メダルを取ったミュンヘンオリンピック準決勝では、猫田と世界一のセッターの座を争ったブルガリアのカーロフと対決し、カーロフを意識しすぎた猫田のトスがブレてしまい劣勢になった。2セットを先取された苦しい戦いから3セットを連取して勝利した。この準決勝は奇跡の大逆転と言われている。

1983年胃癌のため39歳で逝去した。猫田亡きあと、猫田夫人の猫田禮子さんが著した「父さん、お帰りなさい」は、合宿・遠征で盆・正月しか家にいなかった猫田がやっと家に帰ってきた、という内容の猫田の回想録であり、涙なしでは読めない書籍である。

下村英士

下村英士
下村英士

下村英士は1984年ロサンゼルスオリンピック代表選手である。大学卒業後、専売広島(現JT)に入団しセッターとして日本リーグ(現Vリーグ)で活躍した。専売広島には猫田勝敏が所属しており、下村は猫田の直弟子である。1985年ワールドカップにも出場した。

下村は滑らかなハンドワークから繰り出すスムーズなトスが特徴だった。レフトから来たボールはライトへ、ライトから来たボールはレフトへとボールの流れに逆らわない自然なトスを上げるセッターであり、アタッカーにとってスパイクを打ちやすいトスであった。

ロサンゼルスオリンピックでは下村英士の尿からテストステロンが検出され、日本史上初のドーピング騒ぎとなった。テストステロンは男性ホルモンの一種であり、下村の特異体質ということで決着がつき、下村は無罪となった。以後、テストステロンの検査方法が変更された。

現在、広島経済大学男子バレーボール部監督、Vリーグ機構理事などを勤めている。

真鍋政義

真鍋政義
真鍋政義

真鍋政義は1988年ソウルオリンピック代表選手である。188センチの身長があり、ブロック力のあるセッターとして国際試合や日本リーグで活躍した。オリンピックはソウルオリンピックに1度出場し、その他世界選手権3度、ワールドカップ3度出場している。

真鍋はクイックに重きを置かず、サイド攻撃を主体にトスを組み立てていた。試合が拮抗してくるとクイックを使わなくなり、サイド攻撃のみにトスを上げていた。クイックを使わないトスワークは、サイドのみマークすれば良いから相手ブロックにとっては楽である。そのデメリットにも関わらず真鍋はサイド重視のトスワークを貫いた。

2009年から全日本女子チームの監督に就任し、データバレーを実行した。試合のデータをオンラインで手元のアイパッドに表示し、データに基づいた戦術、メンバーチェンジをした。2012年ロンドンオリンピックではデータバレーにより銅メダルを獲得している。

真鍋政義
真鍋政義

2013年からMB1という、ミドルブロッカーを1人にしサイドアタッカーを4人にするという戦術を使った。ここでもサイド重視の真鍋の考え方が表れている。しかし、2013年、2014年は国際試合で目立った成績を上げられず、MB1戦術は消滅した。2016年リオデジャネイロオリンピックは準々決勝敗退し、監督を退任した。

2021年に、2016年以来5年ぶりに全日本女子監督に復帰した。

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