東京オリンピックから60年

スポーツ

昭和39年10月10日から24日まで15日間、東京オリンピックが開催された。第二次大戦の敗戦から復興した日本が、戦後19年でアジアで初めてのオリンピックを開催したのだ。このオリンピック開催で日本は一流国家に仲間入りし、世界と対等に渡り合える国家と認められた。

東京オリンピックに向けて東京大阪間の新幹線が開通し、高速道路網は整備充実された。日本国内の道路網も整備され、高速交通体系に後押しされて経済が目まぐるしく発展した。 東京オリンピック後、日本は高度経済成長に支えられ経済大国への階段を駆け足で登った。各家庭には自動車、クーラー、テレビが普及し、国民の生活は豊かなものとなった。東京オリンピックが戦後日本の発展の転機となった。

聖火点火

聖火台に昇る酒井君

五輪発祥の地ギリシャからリレーされた聖火は、メインスタジアムの聖火台に到着した。聖火の最終ランナーは酒井義則という19歳の大学生であった。酒井君は広島に原爆が落とされた日に広島市で生まれた青年だった。原爆が落とされた広島は30年間草木も生えないと言われた。そんな広島で人々は立ち上がり、戦後19年で大都市として復興した。原爆の日に広島で生まれ、逞しい青年に成長した酒井君は戦後の日本復興の象徴であった。

酒井君は全世界の人々がテレビで見守る中、聖火を高々と掲げ聖火台に着火し大役を見事に果たした。聖火の点火により15日間のオリンピックの熱戦の火ぶたが切って落とされた。

体操

体操男子は小野喬 、遠藤幸雄、鶴見修治、山下治広、早田卓次、三栗崇がライバルソ連を抑えて団体金メダルを獲得し、ローマオリンピックに続いて2連覇を達成した。更に、個人総合で遠藤幸雄が金メダル、吊り輪で早田卓次、跳馬で山下治広、平行棒で遠藤幸雄がそれぞれ種目別金メダルを獲得し大活躍であった。

遠藤幸雄の平行棒演技

体操男子団体はローマオリンピック、東京オリンピック、メキシコオリンピック、ミュンヘンオリンピック、モントリオールオリンピックで優勝し5連覇を成し遂げた。

体操女子は団体銅メダルを獲得した。

バレーボール

東京オリンピックからバレーボールが正式種目として採用された。2年前の世界選手権で日本女子バレーボールチームの日紡貝塚は絶対王者であったソ連を破って優勝し、東洋の魔女と言われた。

大松監督と東洋の魔女チーム

東京オリンピックの決勝は日紡貝塚対ソ連となった。第1セット、第2セットを日紡貝塚が取り、第3セットも14-9で日紡貝塚がマッチポイントを握った。ここからソ連が猛反撃し14-13まで迫ってきたが、ソ連がオーバーネットの反則を犯して日紡貝塚が勝利した。日本国民は女子バレーボールの金メダルに歓喜した。テレビの視聴率は80%を超え、日本中の人々が女子バレーボールを称賛した。大松監督が胴上げで宙に舞う姿がテレビに映り、皆が拍手して金メダルを祝福した。

私はこのとき小学校6年生であったが女子バレーボールの金メダルフィーバーに影響され、中学入学と同時に迷わずバレーボール部に入部した。

男子バレーボールは銅メダルを獲得した。

マラソン

10月21日マラソンがスタートした。国立競技場から東京都内に飛び出した選手たちは一団となって折り返し点に向かった。20キロ付近からエチオピアのアベベが独走態勢になり、ゴールまでそのまま独走した。アベベはトップで競技場に帰ってきて、2時間12分11秒の世界最高記録で優勝し、前回のローマオリンピックに続いてマラソン2連覇であった。

奥州街道を走るアベベ(右端)

アベベの次に競技場に帰ってきたのは日本の円谷幸吉であった。観客は大歓声と拍手で円谷を迎えた。「円谷頑張れ」、「円谷銀メダルだ」などの声援が飛び交った。しかし、10メートル後からイギリスの選手が競技場に入ってきた。バックストレッチでイギリスの選手に抜かれ、円谷は3位でゴールした。「銀メダル獲れたのになあ」との落胆の声が飛び交ったものの、円谷は堂々の銅メダルに輝いた。

4年後のメキシコオリンピックでの金メダルが期待された円谷であったが、「幸吉はもう走れません」との遺書を残してメキシコオリンピック直前に自殺した。踵の故障で思うように走れず、国民の期待に応えられないことで責任感の強さからの自殺と思われている。

柔道

日本のお家芸である柔道は全階級制覇が至上命令であった。軽量級は中谷雄英、中量級は岡野功、重量級は猪熊功がそれぞれ金メダルを獲得した。

無差別級にはオランダの怪物ヘーシンクがいた。日本の期待を背負って神永昭夫がヘーシンクに挑んだが、ヘーシンクのパワーと技の前に神永は一歩及ばず敗れ銀メダルとなった。全階級制覇の悲願はヘーシンクの厚い壁に阻まれて頓挫してしまった。

神永とヘーシンク

レスリング

レスリングは日本勢が大活躍した。フライ級で吉田義勝、バンタム級で上武洋二郎、フェザー級で渡辺長蔵がそれぞれ金メダルを獲得した。グレコ・ローマンスタイルではフライ級で花原勉、バンタム級で市川政光がそれぞれ金メダルに輝き、レスリング日本の面目躍如たるものがあった。

その他水泳、ボクシング、重量上げなど各種目で選手たちの奮闘があった。国民はテレビで選手たちの頑張りに声援を送り、勇気を貰い明日への活力を養った。

東京オリンピックの成功で日本は世界に認められ、先進諸国の仲間入りを果たした。この後、政治、経済、文化などの分野で世界的活躍をする人材や組織が頻出し、世界のトップを争う国家に変貌して行くこととなった。

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