山形県鶴岡市東方に位置する羽黒山は、古来から修験道を中心とした山岳信仰の場として修験者・参拝者が訪れ心身を鍛えてきた神山である。標高441メートルの山の斜面には2,446段の石段が設けられ、頂上までの登坂は心身を鍛えるのに十分である。また受験成功や昇進を願い、2,446段の石段を踏破して困難に立ち向かう気概を醸成する目的で参拝する人も多い。
大鳥居
鶴岡市中心部から国道47号線を東に進むと、羽黒山手前約2キロの道路上に赤色の大鳥居が現れる。羽黒山、月山、湯殿山は出羽三山と言われ、古来からの修験道の場としての神山であり、これから神域に入るという象徴が赤色大鳥居である。この大鳥居をくぐって車は羽黒山に向かって行く。
隋神門
羽黒山参道の入口に聳える赤色の門は隋神門と名付けられている。この山門をくぐって参道に足を踏み入れることとなり、羽黒山参道はこの隋神門からのスタートとなる。
スタート
参道に入って直ぐ小神社が8か所あり、磐裂神社(いわさくじんじゃ)、根裂神社(ねさくじんじゃ)、天神社(てんじんじゃ)、岩戸分神社(いわとわけじんじゃ)などの名前がついている。
いずれも幅約5メートル、高さ約7メートルほどの無人小規模神社であり、鈴を鳴らして賽銭を投げ道中の安全と頂上達成を願った。
参道の脇には滝が流れており、この滝の麓には岩戸分神社が鎮座していた。滝からの水飛沫を浴びながらお祈りした。
参道を登って直ぐに国宝羽黒山五重の塔が見えてきたが、当時は補修の最中でありシートで覆われていたため、壮麗な建物の外形を見ることはできなかった。
2合目
参道の両側には樹齢何百年と思われる杉の木が群生し、太陽の光が届かず鬱蒼とした杉木立を形成していた。杉の木の間を縫うように設置された石段を一歩一歩踏みしめて石段を登った。石段の上から下りてくる人達とすれ違い、頂上までの所要時間や足が痛くないか、などの世間話をした。
5合目
石段を登り続けること20分過ぎから足が疲れて、一段一段がハードトレーニングをしているようなキツさとなった。参道の両側には子守神社(こもりじんじゃ)、大直日神社(おおなおびじんじゃ)などの小神社が約10か所あり、鈴を鳴らして賽銭を投げてお祈りした。
石段は延々と頂上方向に続いており、参拝をやめてUターンしようかなどと弱気な考えが頭をもたげてきたが、なんとか気力を振り絞って自分に活を入れて石段を登り続けた。
7合目
石段の脇に二の坂茶屋があり、清涼飲料水や団子、餅などの軽食を提供していた。丁度足が張ってきたところで、ひと休みして炭酸飲料と団子を食べてエネルギーを補給した。
石段は延々と頂上方向に続いており、ラストの踏ん張りだと気持ちを奮い立たせて石段を登り始めた。
9合目
9合目には斎館という修験者の宿泊施設があり、歴史を感じさせる古い格式のある建造物であった。また、石段脇には小神社が約10か所祀られていた。
石段もあと少しで終わりだ、と気持ちを奮い立たせ痛む足を引きずって再び石段を登った。
頂上
ようやく頂上に到着し、一安心して休憩所で腰を落として座った。頂上まで40分の登坂であった。参拝者は50人位で、若いカップルや体育系部活の少年たち、老年夫婦や外国人5,6人などであった。頂上には三神合斎殿、霊斎殿などの祭殿と芭蕉翁像などが建設されていた。祭殿は巨大で、厳かな佇まいで修験者・参拝者を迎えており、三神合斎殿では御朱印を発行していた。
2,446段の石段を登ることは大変な苦行である。車にばかり乗って運動不足の体にはキツイい登坂であった。途中で挫けそうになった心に活を入れ、気力を振り絞って最後まで登り切ったことは貴重な糧となった。古来の修験者たちの修行の厳しさに思いを寄せながら、己の内面と向き合い心が浄化されたような体験であった。
下りは楽にスイスイと行けるだろう、と思っていたら5合目あたりから石段を下りる度に膝がガクガクとなり、登りよりも足が疲れて大変だった。
ホテルに着いてシャワーを浴び、ビールを飲んだところビールが美味しくて、思い切りゲップをした。その夜は熟睡した。